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ベトナム紀行  越南異聞
本日、日本敗戦(終戦記念日)60周年です。
司馬先生の件の本によると、敗戦後も千数百人の日本兵が、当時の仏印(フランス領インドシナ)のベトナムに残って、内戦に巻き込まれて、一部はそのまま独立軍で働き、戦後もベトナムに残った人たちがいるらしい。インドネシアなどにも義勇軍として独立戦争を戦った日本兵がいる。
60年前の話だが、国の運命と人間の運命は、善悪の線では割り切れない何かがあるように感じる。
中国では、今日は反日デモは、なかった(起こさせなかった)みたいだ。人間もそうだけど、近くにいるものとうまくつき合うのは、なんでこう難しいのだろう・・・

ベトナムはと言えば、北方の大国中国に紀元前の漢(武帝)の時代から、何度となく軍隊の侵略を受けた。
両国の国境に、鎮南関(清朝時代)→睦南関→友誼関(1965年)と名前を変えた町があるらしい。(今の日本には陸地の国境はないが、この名前の変遷は、それだけで両国の歴史の移り変わりを感じさせる。)
そもそも、ベトナム(越南)という言葉も中国的に言うと、南方の辺境を意味するらしい。
ベトナムを統一したザ・ロン帝は、「南越」(ナムベト)と称したかったけど、それを清朝は認めなかった。ベトナムにとって、北方の大きな隣人との付き合いは、いつも神経を使うものだったのだろう。
(ちなみに、朝鮮も李成桂が高麗を滅ぼして、新しい王朝を作った時も、当時の明に「朝鮮」にせよ、と言われたそうだ。)

戦後60年、いまも日本は隣人たちとの付き合い方の模索が続く・・・。
by thuderball | 2005-08-15 23:45 | 鬱病
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